このブログで伝えたいこと💡
やらない善よりやる偽善。
ネットで調べると賛否両論。
まあ、そうだろうな。
以前の私は、本当にその人のことを思ってやらなければ意味がない。
偽善は良くないと思っていた。
しかし、最近
「偽善者でもいいや」
と思うようになった心の変化がある。
今日はその変化について話していこう。
「善」と「偽善」
まずは、「善」と「偽善」についての私の中での定義を説明します。
善:相手が喜ぶこと、望むこと、良い行いを心の底から思ってやること
偽善:相手の為ではなく、自己の利益や満足のために行うこと。
相手にもその結果は喜ばれるが相手の為という心はない。
勘違いされないように強調してお伝えしておきますが、私の偽善は自分の為ですが、相手にもメリットがあること。相手にメリットの無い自己満足の偽善ではありません。
だから、以前の私はピュアな心でなければやる意味がないと思っていた。
そして、私の心はそんなにピュアではない(^^;)
だから、何もやらない。
【とりあえず偽善者に】
最近、役職者としてどう心を鍛えるべきなのか?
ずっと考えている。
役職者たる人格を備えるためにはどうしたらいいのだろう?
やはり、良い行いを積んで徳を積むということだろうか・・・
立場上、人格者と言われるような人に合う機会が多い。
会ったら分かる。
オーラが半端ない💦
このオーラを纏いたい!
この人たちの話を聞いていると必ずと言っていいほど「善」の行いをしている。
未熟な私には考えていても良く分からない
とりあえず、この人たちの真似をしてみようと偽善者(自分の利益の為だが、ついでに相手の為にもなる行為、世の中的に良い行いと思われていることをする)になることを決意する。
【そもそも100%善意の人間なんかいない】
「善」と「偽善」を考えているとその境が分からなくなる。
相手の為と考えて行っていても自分の為にもなっている。
自分の為と思っていても相手の為にもなっている。
どちらかに100%傾いているなんて状態は存在しない!
※私の定義では!
ということにここで初めて気付く(^^;)
【偽善者になって変わったこと】
善意であれ偽善であれ、その事象をとらえたときに意識的に考える。
相手のために・・・、自分のために・・・と
しかし、偽善を積み重ねることで偽善が習慣化され、偽善であったとしても特に考えずに善意の行いができるように変化してきたのだ。
つまり、無意識に善意の行動をとるようになってきた。
だから、私は偽善者になることからすべてが始まると思っている。
偽善者になると決めて、知らないうちに善意の行為が増えていた。
困った人がいたら躊躇せず、体が勝手に反応するレベルで助ける。
そんな偽善者でありたい。
最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m
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