86世代の思考

1986年生まれの会社員が人生、ビジネスの中から得た経験を中心に書いていく雑記ブログです。

ブログネタに困って気付いたこと。私の人生は無難だった!

ブログを書くようになって悩みが一つ増えた。

それは、ブログネタを何にしようかと日々迷っていること・・・

私は、そこまで専門性の高いものを持っているわけでもないし、書けることと言えば自分の経験談や想いの方がスラスラ書ける。

ただ、そこでも問題が・・・

自分の経験談と言ってもそんなにない(^^;)

30年以上生きてきて、ブログに書こうと思えるネタは実に少ないということに気付いた。

それは、私がきっと常に無難な道を選び続けてきた結果だと思う。

最近の私を知る人からは、そう思われないかもしれないが、小中高大と常に無難と言われる道を選択してきたのである。

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【目次】

無難とは?

無難という言葉を調べてみると

1 危険のないこと。また、まちがいのないこと。また、そのさま。無事。「無難な日を送る」「貴重品は持って行かないほうが無難だ」
2 欠点のないこと。特にすぐれているわけではないが、格別の欠点も見当たらないこと。また、そのさま。「無難な歌い方」「無難にまとめた演技」

出典:

無難(ブナン)とは - コトバンク

多くの人が無難な人生を選んでいることだろう。そしてこれからも無難が優先かもしれない。

ゴルゴ松本の授業

ゴルゴ松本が少年院で授業を行う映像を見たことはあるだろうか?

見たことがない人は今すぐにYouTubeで検索してみたほうがいい。

私はこの動画を何度も何度も繰り返してみた。

この動画の中で少年院にいる少年たちにゴルゴ松本が言葉の意味を伝えていく動画なのだが、その中に無難についての説明されているところがあった。

無難とは、災難、苦難、困難がない人生

、苦、困がある人生は難が有る⇒有難⇒有難し⇒難が有る人生は有難し!

と説明していた。

 

ここでなぜ、私がブログネタを自分の過去から書こうとした時に手が止まってしまうかが分かった。

災難、苦難、困難がない人生は、無難な人生。

私は自分でも無難な人生だと自覚している。

無難な人生なんて誰も聞きたいわけがない。

話が面白い人に出会ってその方のバックグラウンドを知ると大体、災難、苦難、困難を持った人生だ。

そういう人達は、魅力的な人格者としてのオーラを放っていることが多い。

 

なぜ、無難な人生を歩んできたのか?

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そもそも、なぜ無難な人生を選んできたのだろうか?

きっと無難ではないほうを選ぶことも出来たはず。

小学生時代

私は小さい頃(2,3歳の頃)から親にバク転の練習をさせられていた。父親が体操をやっていたからだ。

遺伝的なこともあるかもしれないが、おそらく運動神経は結構いい方だと思う。

だから、小学生の時バク転とかやってたらかなりクラスの注目度を集めていただろう。しかし、私はそれをすると目立つからやらなかった。

目立つということは、みんなとは違うということ。

基本的にシャイなので逸脱したことはしたくなかった。

無難に何もしないことを選んだ。

中学生時代

勉強はできたわけではないが生徒会や学級委員等の役もやろうと思えばできた。

周りが「やりなよ~」という中でも「絶対にやらない」と頑なに拒んだ。

それをやることによって自分の時間を奪われる感覚があったからだ。

学年で数人しかやらないということをやるということは、私にとって無難の道ではなかった。

高校生時代

高校時代、超無難

記憶の中では、部活を頑張っていたことぐらいしか覚えていない

思い出せないぐらい無難だったということだと思う(^^;) 

大学生時代

大学生になって少し自分の考え方に変化が起き始めた。

今までは、無難な人生を歩んでいればよかった。

なぜなら、ほとんどの人間が無難という道を選ぼうとしていたからだ。

おかしくない、むしろそれが普通。

しかし、大学は違う。

もう、それぞれの生きる道が大きく分かれようとしていた。

そのことを感じた瞬間、当時はそこまで思わなかったが無難な人生ではいけない気がする・・・

と心のどこかでそんな想いが芽生え始めていたのかもしれない。

しかし、大学生活が終わるまでは心に何かの引っかかりを感じながらも無難な道を進んでいた。

 

つまり私は、超消極的な生き方をしてきた。

消極的な生き方をすれば人に迷惑をかけることもないし、自分にとっても負荷はない。

小さい頃から積み上げられた無難な人生を振り返ってみて、もう一度、同じ人生を歩むとしても今の考え方をしていなければ全く同じ結果になっていると思う。

これが、日本の教育システムのダメなところなのだろうか?

今の時代は大分変ってきていると思うが、86世代の私の頃はそんな感じだったと思う。そして、30前後になり社会の荒波の中、その考え方ではいけないと覚醒し始めてきた同世代たちが出始めてきた。

きっと私もその一人。

 

難有な人生でこそ、人としての深みが出る

私の言う「難有な人生」とは、積極性にリスクをとりにいくこと。

今の時代は、

リスクをとらないことがリスクだ!

なんて言われることもあります。

変化の激しい時代において「無難」なんてのは存在しないということ

昔は、無難という安全地帯があったかもしれません。

しかし、今はその無難な安全地帯すら動き回ってどこにあるか分からない。

だから、難有が普通と考えるべきだと思う。

 

まとめ

食べるために生きるという時代はすでに終わって、どう生きるかを考えている人がたくさんいる。

今は、わざわざ生きているということの実感を求める時代

そんな時代において無難な人生を選ぶなんてありえない。

私は、たまたまブログのネタを書くのに困るということで自分の人生が無難な人生だったと気付いた。

そして、時代も無難という言葉を死語にするぐらいに動いている。

人格者たちはみな人よりも多く、そして大きい「難」をもっている。

天から与えられた難であれ、自らリスクを取りに行った難であれ、それこそが自分の人生を豊かにしていくものだと思う。

それを豊にできるかどうかは自分の心次第だ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m

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