Lead the Self

自分自身をリードする(Lead the Self)ために

人のために身を削ることの大切さ。最終的には自分が輝きます!

今年の8月から倫理法人会に加入した。

私が講演家の鴨頭嘉人さんをYouTubeで見ていたことがキッカケだ。

ちょうど、私が鴨頭さんの存在に気付いたのが2018年4月あたり。

それからドハマりしてずっとYouTubeを見てきたのだが、たびたび登場する倫理法人会。

もし、鴨頭さんのYouTubeをみていなければ、完全に怪しい宗教団体だと思っていただろう。

しかし、あるきっかけでこの倫理法人会に入ることになった。

 

私は、倫理法人会に加入してからほぼ休まずモーニングセミナーに参加している。

毎週火曜日の朝6時から始まるモーニングセミナーでは有名企業の社長の話を聞くことができる。

私の持論で上に行きたい、強くなりたい(成長したい)のであればそういう人達と関わることが最も手っ取り早く成長する方法だと思っている。

今日もいいお話が聞けたので自分なりの考察を入れながらアウトプットをして読んでくれている方に共有したいと思う。

f:id:k1222k:20191105095501j:plain

 

【目次】

今日の心に響いた言葉

本日の講話者は、まるは食堂代表取締役である坂野豊和氏だ。

まるは食堂はこんな感じ⇓

www.maruha-net.co.jp

おおー、これは勉強になる話を聞かせていただけそうだ!

かなり期待して参加する。

社長の印象は年齢よりも若くみえ、覇気があり、優しそうな方だった。

そして見るからにそういうもの(オーラ)を放っていた。

ハロー効果かもしれないが、このオーラを纏った人たちに沢山会っていればそれが本物なのか偽物なのか分かるようになると思う。

今はその訓練中なのだ(^^)

 

まぁ、モーニングセミナーの40分ぐらいの短い時間の中なので断片的な話だったとは思うのですが、その中で私の心に響いた言葉がありました。

それは、

「ろうそくは身を削って周りを照らす」

なるほどるほど。

これは、深堀したい言葉だ。

ことわざの意味

f:id:k1222k:20191105103857j:plain

「ろうそくは身を削って周りを照らす」

をググってみる。

調べてみると古いことわざのようでした。

意味としては、

自分を犠牲にして、他の人のために尽くすこと。

ロウソクはわが身をを燃やして、ろうを溶かし、身を削りながら周囲を明るく照らします。
この意から転じて、他人のために自分を犠牲にすることのたとえ

出典:

仏教のことわざ辞典シリーズ : 今、ここから。はじまる照泰仏堂のブログ

 想像した通りの意味だが、ろうを溶かしながら(身を削りながら)という表現が、命を削っていくようで何とも心に響く言葉だ。

 

身を削って周りを照らすとはどういうことか?

f:id:k1222k:20191105165637j:plain

これを普段の生活に落とし込んで考えたときに、一番身近な存在は両親であろう。

子供の頃から寝る間を惜しんで世話をしてくれて、子供のためにお金と命の時間をかけて子供を照らそうとする。

まさに「ろうそく」のような存在だ。

完全に見返りを求めない照らし方だ。

これに対して私利私欲のために、灯りを灯している人間もいる。

これは、ただ身を滅ぼすだけ。

誰も近寄らない。

その灯りでは誰も照らさないからである。

自分の持っている灯りとは自分を照らすためのものではないのだ。

自分を照らしたいのであれば人に照らしてもらわなければいけない。

人は、自分を照らしてくれる人の下に集まる。

明るく光り輝いているから集まるのではない。

人が集まれば、自らを大きく照らしてくれる灯りになってくれるだろう。

 

身を削りあって人間社会は作られる

f:id:k1222k:20191105104213j:plain

私はこの話を聞いて、86世代(30代)は最も誰かに灯りを当てることができるし、また当てられる世代だと感じた。

世代ごとにどんな「ろうそく」なのか考えてみた。

20代以下のろうそく

身を削ることなんてありません。

今の日本においてこの世代で火が灯っている人はそうそういないでしょう。

多くの灯りを灯され、常に自分中心に世の中が回っている。

この時期にどれだけ灯りを灯されてきたかを知るのは数十年後。

やっと私で少し理解できる年頃になってきたか・・・

20代のろうそく

20代、大人としてやっと灯りが灯ったところ。

しかし、灯ったばかり。

灯りが灯ったのはいいが、コントロールの仕方が分からず、他人に迷惑をかけ、自らのロウだけを燃やすことが正義だと勘違いする人も多いかと思います。

基本的にそれが普通だと思います。

なぜなら、今までの人生で誰かのために身を削るなんてことはなかったわけですから。急に誰かのために身を削れと言われても難しいですね。

30代~50代

火が灯され10年以上。

やっと安定した灯りで周りを照らし始めました。

火力も出しやすく大きな炎となり、より多くの人を照らします。

それと同時に気付くはず、今までの人生でどれだけ他者に灯りを灯されてきたかということを。

親、学校の先生、バイト先の店長、職場の先輩などなど。

本当の意味で感謝を覚える時期なのかもしれません。

60代以上

ろうそく自体は大分短くなってしまいました。

しかし、30代~50代では照らすことができなかった足元を強く照らす灯りとなります。小さなことにも気付ける世代だと思います。

年を重ねなければ見えない景色。

いい年の重ね方をしてこの灯りの灯し方をしたいものです。

 

つまり、各世代、それぞれの状況でどこをどう照らすかが大きく変わり、また、周りの環境次第で自分自身がどう照らされるかが変わってきます。

今日の学び

私利私欲、自分勝手に身を削って輝くことの無意味さを痛感しました。

人は、大勢の人に照らされ、その大勢を照らす一人。

より多くの人を照らすようにするには、常に相手の為を思って身を削った行動が必要なんですね。

そして、それを繰り返すことによって知らず知らず自らの周りを照らしてくれる人たちが集まり自らも輝かせてもらえる

だから、まずは人のために生きなきゃ、いけないということですね。

いや~、いい学びが出来ました!

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m

にほんブログ村ランキングに登録中!

👇ポチっと宜しくお願いしますm(__)m

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村