今週のお題「〇〇の成長」
タモリの名言
「やる気のある奴は去れ」
という言葉をご存じだろうか?
知らない人はこのYouTubeを見たほうがいい。
「物事の面白い所は中心ではなくその周りにある、やる気のある奴は周りが見えなくなる」と言うようなタモリの名言なのだが、若い時に聞いても全く理解できなかったと思う。
私は32歳になって初めてこの言葉の重みを理解することができ始めた。
経験値が伴わなければ絶対にタモリが言った言葉と同じ意味合いでとらえることは出来ないと思う。
これは私の考えだが、物事の中心は「やる気」が集まって出来ている。
「やる気」は、確実に物事の核を作る要素になっている。
でも、世の中はその核だけで出来ているのではない。
その核から少し離れたところに面白いことがあるのだ。
だから、「やる気」のある奴も必要だが、みんなが「やる気」のある奴だけでもいけない。
そんな風に私は捉えている。
これは仕事でも同じだ。
私が成長してきた過程の中でやる気満々で仕事に没頭して企業を成長させてきた20代後半。言い方は悪いが手を抜いたらなぜか勝手に組織が成長してきた30代。
この経験がタモリの言う「やる気のある奴は去れ」にリンクした。
【目次】
とにかく結果を出したかった20代
学生時代、優秀な成績を収めたわけでも、スポーツで結果を出したわけでもない。
劣等感に近い感情があったのかもしれない。
人のことは良くみえる。
いい会社に就職した奴、すでに起業している奴。
みんな自分より、凄い存在にみえた。
負けたくない。
だから、とにかく結果を出したかった。
今思えば上っ面のダサい見栄を張りたかっただけのガキ。
就職してからはがむしゃらに働いた。
やる気しかない。
休みもいらない。
何より楽しかったから没頭できたのだ。
20代後半ではそのおかげもあって管理職という立場にもなれた。
自分のやる気の大きさがこの会社を大きくする、そんな自惚れにも似た感情を抱いていたのかもしれない。
更にがむしゃらに働こうとした30歳
30歳になってからもやる気は続いていた。
しかし、あることをキッカケに私のやる気はいきなりゼロになった。
むしろマイナスだ。
一応、社内ではその素振りを見せないようにしていた。
すでに立場があったから私がグラついてはいけない。
それだけは強く思っていた。
しかし、何かを考えようとすると頭の中が真っ白になる。
これは鬱なのか?
とにかくやる気が出ず、朝起きられない。
出社しても仕事にならない・・・
そんな時期が半年ほど続いた
その半年間を乗り越えられたのもそれまでの貯金があったからだと思う。
貯金とは、頑張ってきたことに対する信用であったり実績であったり。その貯金があったから自分が何もしない半年間でも会社が回っていた。
肩の力が抜けた31歳
「自分の成長」=「会社の成長」は、間違いない事実なのだが、30歳の時の経験で物事の中心から遠ざかってみえたことがたくさんあった。
その時の私は完全に肩の力が抜けていた。
物事の中心から離れることでその周りにある大切なものを理解することができた。
やる気に満ちていた20代の頃とは全く違う心境。
やる気だけでは到達できない境地に立っていた。
他の人からも成長スピードを驚かれることがある。
20代の頃のようなやる気はなくなっていたのに・・・
凄く不思議な感覚を覚えた。
まとめ
やる気のある奴は大切。
しかし、全体を見渡す立場の人間は、やはり物事を俯瞰してみる必要がある。
私は介護施設の管理者として全体をみることが一番の仕事なのに仕事が楽しくて自ら物事の中心に首を突っ込んでいた。
今思うと大反省。
時が経ち、肩の力が抜けたときやっと物事の中心以外にも目を向けることができた。
でも、やる気をもって物事を行うという経験があったからこそ気付けたことだと思う。
だから、成長する過程の中で「やる気」の期間は必要だし、やる気のある人間も必要だ。
タモリの言う「やる気のある奴は去れ」という言葉の重みを理解するには、やる気があってしょうがない。という時期を過ごした人間でしか分からないと思う。
そんな時期を過ごせたことに感謝している。
そして、これからも私は成長していく。
最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m
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