世の中は、いろいろな人間が入り混じりできている。
そんなの当たり前の事実なんだけど、自分が所属するコミュニティだけにいてはそう思わなくなってしまう。
同じような知識、技術、考え方、体力、目的などそのコミュニティは、ある程度同じような人間が集まって形成されるからだ。
そのコミュニティ内の普通を世の中の普通と錯覚してしまう。
最近はダイバーシティなんて言葉がよく言われているが、なぜわざわざそんな言葉を使って多様な世の中を作ろうとするのだろうか?
そもそも世の中は最初から多様だ。
会社を例にして話を進めると会社というコミュニティは目的の達成に集まった集団。その目的を達成することが全てであってその中でダイバーシティなんてのは必要な時もあるし必要ない時もある。
別にダイバーシティを否定しているわけではない。
ダイバシティという考え方だけではやっていけないのが実社会ではないだろうか?
【目次】
「玉石混淆」良いも悪いもごちゃまぜ状態
「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)」という言葉を聞いたことはあるだろうか?
玉石混淆とは、良いものも悪いものも混在している状態のことを言う。
カオスの状態だ。
玉:良いことや優れたこと
石:悪いことや劣ること
できる人間も出来ない人間も混在しているのが今の世の中だと思う。
「玉石混淆」という言葉を知ったキッカケ
「玉石混淆」という言葉を教えてくれたのはあるトップコンサルタントからだ。普段、仕事の中で組織を強くするためには優秀な人材を揃えていくことが一番だと考えていた。もちろん優秀の定義はいろいろあるが、その中にはダイバーシティという言葉もかなり意識している。
ちなみにダイバーシティとは・・・
ダイバーシティとは、多様な人材を積極的に活用しようという考え方のこと。 もとは、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図して使われることが多かったが、現在は性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めようとするマネジメントについていう。 企業がダイバーシティを重視する背景には、有能な人材の発掘、斬新なアイデアの喚起、社会の多様なニーズへの対応といったねらいがある。
出典:
このダイバーシティの実現のために全力でエネルギーを注いでいたこともある。
しかし、そのダイバーシティを過剰に出し過ぎていた。そもそも、全員が付いてくるはずがない。どんなに頑張ってもスタッフ達には理解されない。そんな、どこにもぶつけ様のない想いの時にそのコンサルティングの方に出会った。
「今、日本は人手不足。優秀な人間も優秀じゃない人間もたくさんいる。その人たちを君は指揮をとって行かなければいけないんだよ」
と言われた。
ダイバーシティという言葉に踊らされていた自分に気付いたのだ。
コンサルタントに言われて気付いたこと
一番この話の中で響いたのは「玉と石」に関する受け入れ方だ。
私はこう捉えた。
「石」を受け入れる
私は、「石」を排除することが大事だとずっと思っていた。
私の言う「石」とは、怠慢や無精さのことだ。
ダイバーシティを実現するにしても正直そういう人材は今の私の能力では使いこなすことが出来ないし、職場の中でも受け入れがたい人たちだろう。
その「石」でされ受け入れてしまう懐の広さが必要だ。
「石」を受け入れるには理不尽を受け入れること
真面目に働いた人は、その分の評価を得る。
私もそうであってほしいと思う。
しかし、現実は違う。
真面目だろうが真面目でなかろうがほとんど評価は同じということはよくある。
まさに理不尽だ。
この理不尽さこそが今の世界だ。
私はその中でバランスをとり、組織をコントロールする。
この理不尽を飲み込み、自分の器を大きくする決心をした。
特別なことではない、すでに世界は玉石混淆で動いているのだから。
最後に・・・
世の中はそんなキレイな世界じゃない。
私は、管理職という立場でいろいろなものを受け入れなければいけない。
本当は見たくもないし、関わりたくないこともたくさんある。
だけど、今の自分がもっといろいろなものを飲み込んでいかなければ成長はあり得ない。
「玉石混淆」という言葉を知り、今ではその「玉石混淆」という視点で物事を見るのが面白い。
玉石混淆こそ、なんの抗いもなくすべてを受け入れている表現なんだと思う。
それが出来てからのダイバーシティでもいいんじゃないかな?
最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m
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