86世代の思考

1986年生まれの会社員が人生、ビジネスの中から得た知識、経験を中心にアウトプットしていくブログです。

無礼者!

 

お題「今日の出来事」

 

生きていると幾度となく出会う「無礼者」

無礼者とは礼儀に外れた者のことを言う。

今日もそんな「無礼者」に出会ってしまった。

今日、出会った無礼者は・・・

私より年上とはいえ、初対面の相手(私)に対する言動や振る舞いではなかった。

馴れ馴れしく話しかけ、私の人生がどうであったかを会って5分程度の会話の中からの憶測で話し、決めつけてきたのだ。

私は会社の責任者だが32歳という年齢の為、同じような感じで話してくる人は多い。

だから慣れている。

心の中でつぶやく

「残念な人だ・・・」

 

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【目次】

 

無礼者は自分で無礼者とは思っていない⁉

無礼者と話していて毎回思うのが、「悪気のあるケース」と「全く悪意のないケース」がある。

悪意のあるケースは、そのうち天罰が下ればいい👿

きっといつか痛い目に会うだろうから無視する。

今回話したいのは、悪気の無いケースの無礼者だ。

今日、出会ったのはそんな悪意のない無礼者。

自分で気付いていないだけタチが悪い。

むしろ自分は常識人でまともな人間だと思っているケースが多い。

なぜ人は無礼者になるのか?

どうして人は無礼者になるのだろうか?

今日、出会った無礼者から考えてみた。

その無礼者は、自分が正しい、自分は間違っていないというよく分からない自信に満ち満ちていた。

要は、慢心である。

それが言葉や態度に出てしまうのだ。

その姿勢から全く謙虚さが感じられない。

謙虚さの欠如、これによって無礼者になる可能性は飛躍的に上がる。

謙虚さの無さはどこから来るのか?

私は謙虚さの無さは教養の無さから来ていると思っている。

教養とは・・・

一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。

出典:

教養 - Wikipedia

 やはり、大事なのは一定レベルの教養ではないだろうか。

一定レベルの教養の欠如が今日の私が受けた無礼につながるのだ。

私はこれから年を重ねる中で教養を身に付け、品のある大人になっていきたいと思っている。

 

 自分の心の成長は無礼者に対する反応で分かる

最近の私が最も力を入れて鍛えているもの。

それは、「こころ」だ。

無礼者に会うと心が乱される。

むかつき、苛立ち、自尊心を傷つけられることもある。

完全に心が乱されている状態だ。

無礼者と出会ったときあなたの心の成長具合が分かる。

大きく心を乱される人はまだまだだ。

外的要因によって自分の心が動かされてしまうようでは自分の心をコントロールすることが出来ていない。

私は、昔からそのことを意識してきた。

20代の頃は正直かき乱されまくりだった。

30代となり大分そのかき乱された感が少なくなったと思う。

そして今日確信した。

お、冷静でいられる自分がいる(^.^)

まとめ

きっとあなたの近くにもいる「無礼者」

職場にも地域にも必ず一人はいるはずです。

無礼者に会ったとき自分の器が試されているように感じます。

心を乱されずに無礼者と話すためには自らの心を鍛え、無礼を跳ねのけられるようにしておきたいものです。

そして、自分も無礼者にならないように教養を身に付け、常に謙虚な姿勢でいたいと思った一日でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございますm(__)m

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