地に足をつけた組織作り

地道に組織作りをしてきて思ったことを発信しています。

私のWork History(社会人2-1)

これからこのブログを読んでくれる人

これから私に興味を持ってくれる人

に対して私のWork Historyをまとめて今の仕事観がどのように出来たのかを書いていきたいと思います。

今日は、一社目を半年で退職し、私の多くの仕事人生の時間を費やしてきた介護施設を運営する会社の話です。

2024年10月現在までに3分割ぐらいして書いていこうと思います。

 

2009年10月、新卒で就職した老人保健施設を半年で退職し、新設のデイサービスで生活相談員という役割で働くこととなりました。

この会社は、まだ他に事業をしておらず何もかもがゼロの状態からのスタートでした。

正社員とパートタイム

2009年10月から働き始めた会社では、正社員は私と管理者の二人、あとは7名のパートタイムからスタートしました。

社会に出て半年でしたが、正社員はパートを管理する立場というかパートタイムより責任がある立場であるということは理解していました。

とはいえ、社会人一年目の私が、40代50代のパートタイムの方達を上手に扱えることもなく、もう一人の管理者も含め完全に丸め込まれ、

パートタイムが上、正社員の方が下

でパートタイムの言うことを聞かなければいけないような状態となってしまいました。

正社員・パートタイムの本来の役割が全く機能しておらず組織はぐちゃぐちゃな状態。

こうなってしまった理由はいくつもありますが、完全な知識不足・経験不足です。

この時の経験があり、強く「組織とは」ということを意識するようになりました。

残業つけ放題

お金に関してはとても強いコンプレックスがありました。

高校を卒業した同級生は、残業をガンガンして手取りで25万円ほど

私は、大卒で17万円

若く体力があったので働いただけお金が欲しいと思っていました。

一社目では全く残業のない職場でしたのでそれができず、学生時代のスーパーのアルバイトを続けていました。

二社目では、最初から残業はやった分だけつければ良いと社長に言われ、

1ヶ月目の給与にとても喜びました。

しかし、社長が税理士に叱られたようでそれは1ヶ月で終わり、

残業はなし

となってしまいました。

この時のショックは、凄まじく裏切られた感がとてもありました。

また、初めての賞与が1年半後にありました。

社長からは頑張ってくれたからやっと出せる!

と期待を持たされ給与明細を渡されました。

知人のボーナス事情を聞いていると30万円ほど。

まだ、ボーナスをもらったことのなかった私からすると30万円はとんでもない金額です。

ワクワクして給与明細を見ると、額面で8万円…

世間の相場と社長の期待される言い方とのギャップに

ここでもかなり落とされていまいました。

今から思えば当たり前の話。

利益が出なければ何もできない。

そんなことも分からず、社長に対してこんなにも働いているのに!!

という怒りにも近い感情を持ったことを覚えています。

上振れする期待であれば良いですが、下振れされる期待は、絶対にダメ。

今、部下に対して絶対やらないことの一つです。

パートタイムに囲まれる正社員

月日は流れ、施設も軌道に乗り、2店舗目の開設の話が出てきました。

26歳で管理者となり、1店舗目を運営していく話が進んでいました。

いざ、管理者となり、気合を入れて改革をし始めた途端にパートタイムと衝突

パートタイム全員に取り囲まれ、非難される状態になってしまいました。

急激な改革についていけないこと(私の説明不足)や私の言動全てに反発してきました。

当時、自分のことを「俺」と言っていましたが。

管理者が「俺」ってどういうことですか!!

と突っ込まれてから自分のことを「私」というようになりました。

上に立つとは、本当に細かなところまで見られ指摘されるんだなと実感。

大勢のスタッフの前でどう振る舞うか?ということを意識した瞬間でした。

 

半人前の社会人からなんとか管理職としてやっていくまでの間に学んだことは

一職員として上司や会社からどう扱われるとどんな思いをするのか?

ということと

上に行くことによって一職員に対してどのように接しなければいけないかという

上司(会社)と部下の関係性についてでした。

会社の基本中の基本かもしれません。

そんなことをこの時期に学びました。

私のWork History(社会人1)

これからこのブログを読んでくれる人

これから私に興味を持ってくれる人

に対して私のWork Historyをまとめて今の仕事観がどのように出来たのかを書いていきたいと思います。

初めての介護職

大学を卒業後、私は老人保健施設で介護職員として働き始めました。

大学では福祉系の学びはあったものの、直接「介護」については学んでいませんでした。

2年目から生活相談員として働くという条件で、まずは1年間現場での経験を積むことになり、私の社会人人生はスタートしました。

入社前からの不信感

この会社の内定は大学4年の6月末に出ました。

福祉業界としてはかなり早い方で、その後、同級生たちも次々と内定を決めていきました。

10月ごろから他業界では内定者の懇親会なども開催されていましたが、私は

「就職まで半年もあるし」

と思い、特に気にしていませんでした。

しかし、内定をもらってから一向に連絡が来ず、

不安になった私は2月の終わりに自ら連絡を入れました。

そのとき、事務の方から

「そろそろ連絡しようと思っていたんですよ」

と軽く言われ、安堵すると同時に、半年以上も放置されたことに対して不信感を覚えました。

聞いていなかった駐車場問題

入社式を終え、私は車通勤だったため、総務に駐車場の場所を聞きに行きました。

すると、

「今は会社の駐車場がいっぱいなので、自分で月極駐車場を契約してください」

と言われました。

田舎育ちの私にとって、働きに来るために自費で駐車場代を払うという考えは理解しがたいものでした。

しかも、会社の駐車場を利用する場合でも1ヶ月1万円かかるとのことでした。

その後、何とか月極駐車場を探し、職場まで徒歩10分の場所で1ヶ月12000円の駐車場を契約しました。

さらに、通勤費は満額支給されると言われていたのに、実際には

「今年から制度が変わりました」

として満額支給されず、後々先輩に確認すると「今年から」というのは嘘だったことが分かりました。

ここから学んだのは、入社前の情報と入社後の現実が異なることがどれほど不信感や怒りを生むのかということでした。

だからこそ、現在の仕事では社員に対して誠実な情報提供を心がけています。

トイレ前のベンチでの昼食

入社してからも驚きの連続でした。まず、休憩室がなく、休憩は狭いロッカールームか、薄暗い職員トイレの前にあるベンチで取るしかありませんでした。

とても惨めな気持ちで昼食を取る日々でした。

一方で、理学療法士の職員たちは、患者と歩く訓練をする部屋で休憩を取ったり、昼寝をしたりしており、明らかに快適な環境が整っていました。この差を目の当たりにし、同じ施設で働いているのに、職種によってこれほど待遇が違うのかと失望しました。

人間関係のストレス

この職場では、いじめが多く、倉庫に入ると必ず誰かが泣いているといった状況でした。

人間関係は非常に悪く、常に誰かの悪口や会社批判が飛び交っていました。

私はそのような環境が大嫌いで、そのストレスが積もるばかりでした。

職場の仲が良いことが必須だとは思いませんが、悪口や批判が日常化し、働く人が萎縮してしまうような環境では、関わる全ての人が不幸になります。この経験から、私は悪口や批判を許さない職場環境を作ることの重要性を強く感じました。

学んだこと

結局、この会社には半年しか在籍しませんでしたが、この短期間で学んだことは非常に多かったです。

人を大切にしない組織の中で働くことがどれほどつらいか、

自分自身が体験したからこそ、

「人を大切にすること」

がいかに重要かを痛感しました。

「働く人が輝ける職場作りをしたい」という私の思いは、この半年間の経験から生まれたものでした。この会社のことを恨んではいませんが、最低な会社だったと思っています。

そして、その経験に感謝しています。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました!

私のWork History(学生時代2)

これからこのブログを読んでくれる人

これから私に興味を持ってくれる人

に対して私のWork History(学生時代)をまとめていきたいと思います。

 

今日は前回の続きでテニスコーチとしてアルバイトした時の話

前回記事⇩

www.86generation.com

 

テニスコーチのアルバイトから学んだこと

スーパーの店員と並行して、テニスコーチのアルバイトを始めました。

きっかけは、通っていたテニススクールのコーチに声をかけていただいたからです。

自分がコーチ?

という戸惑いもありましたが、経験値としてもやってみたいという思いで飛び込むことにしました。

週に3日で5レッスンを受け持つことになりました。

そのうち、2レッスンはジュニアで3レッスンは初心者コース

今まで教えてもらっていた側から教えてもらう側に回るということで自分でいいのだろうか?というプレッシャーに押しつぶされそうな心境になりながらテニスコーチのアルバイトを始めました。

プロフェッショナルとしての仕事

仕事をする人はどんな人でもプロです。

それをテニスコーチという仕事を通して自分の中の仕事のプロ像の基礎が作られていきました。

風邪をひいても休まない

これは、どうかと思う人もいるかもしれませんが、基本的にテニスコーチは自分の受け持ちの生徒がいますので代理を立てるということはあまりありません。というか、代わりがいるような職場でもなく、基本的に何があってもコートの上に立たなければいけません。だから、風邪をひいても基本的にはコートに立ちます。

私自身、アルバイトコーチでしたが、そこはアルバイトとか関係ありません。

私が行かなかったらお客さんが困りますから、38.2℃の熱が出たときに2レッスンをこなしたことがあります。本当に辛い経験でしたが、それが責任感を育てたと思います

アルバイト時代、この経験ができたのは本当に大きいと思っています。ただ、今の時代強要はできませんのでそれも含め、良い経験でした。泣きそうなぐらい辛かったですが…

そもそも風邪引かない努力

絶対にレッスンに穴を開けない(仕事を休まない)

この姿勢は、どんな仕事でも同じだと思います。

もちろん、風邪をひいてしまったなど、しょうがない時はあると思いますが、プロとしてそもそも風邪を引かない努力もテニスコーチの先輩方はすごいと感じました。

元々、体育会系の方ばかりが集まった職場です。

体力があるのは前提だとは思いますが、体のケアはさすがだなと思いました。

あるコーチは、レッスンごとに手洗いうがいの徹底をしていました。

これも絶対に風邪を引いて休まない(仕事に穴を開けない)という行動の一つだと思います。その徹底ぶりがすごかった。

手洗いうがいの徹底という単純なことですが、これの徹底が「プロ」と言われる人たちなんだろうなと思いました。

社会人になった時、私も何かのプロになる。

その時、仕事に穴を開けることはしない。

その心構えが作られた時でした。

身だしなみ

元々、テニススクールで働くような人たちなので基本的に正社員の人たちは、インハイ出場、インカレ出場の猛者たちです。

多くが名門と言われる高校やスクールを出ていました。

これもプロだな、と感じたところが身だしなみです。

会社としての方針もあったと思いますが、テニスコーチという清潔感を必要とする仕事です。

とにかく厳しく言われました。

身だしなみは、企業イメージに大きく影響を与えます。

当時の私は、20歳で髪も染めたいし、色々な髪型にしてみたい。と思うような年頃。

そして、テニスコーチの制服であるハープパンツが短くてダサいのが嫌でした(笑)

お客さんにどう見えるか?を気にせず、自分がかっこいいと思う身だしなみをしたいと勘違い甚だしいアルバイトでした。

今となってはとても恥ずかしいことです。

当時の私にはその感覚は全くなく、幾度となく注意をされてきました。

注意してくれた先輩スタッフには本当に感謝です。

実は、先輩コーチたちも自分と同じような時期があり、またその上の先輩コーチに言われていたこともあったのでたまには目を瞑ってくれていたようです。

仕事はアウトプットするところ

アルバイトコーチといえども、レッスン内容は自分で決めなければいけませんでした。来てくれるレッスン生が少しでも上達するよう考えるのですが、これがまた難しい。

毎回マンネリになって飽きさせてしまっていたと後悔ばかりしていました。

少しでもレッスン内容を充実させるために

コートの外でレッスン内容を考えるために多くの時間を使いました。

90分のレッスンをしていくらという風にお金をいただいていましたが、

その90分をこなす前に多くの時間を費やすことを当時は、自分の実力不足と思いやっていましたが、これが正しい姿なんだと後々わかりました。

サービスは、その場で消費されてしまいますが、満足の行くサービスでなければいけません。

満足の行くサービスをするには、下準備が欠かせません。

今の時代、その下準備まで会社が手取り足取り行っています。

だから全く力がつきません。

このレッスンを充実させるために、実際に時給の発生する外で下準備をする。

そして、そのアウトプットされたサービスによってお金を得る

当時は何も考えていませんでしたが、今のゆるブラック企業が多い現状を思うと貴重な経験をさせてもらったと思います。

多様な世代との交流する重要性

テニスコーチという職業柄、多くの人と出会います。

キッズクラスから80代のお年寄り、主婦や社会人、公務員、モテたいからとテニスを始めた人など本当に色々な人と出会います。

小学校の校長先生が私の生徒でいたのですが、校長先生から「先生」と呼ばれることにすごく小っ恥ずかしさを感じました。

私は、初心者コースを担当していましたが他のコーチは常勤の方ばかりで平日の午前中からテニススクールに通う優雅な奥様のような人たちやゴリゴリにテニスを上手くなりたいと通うベテランコースの人たち、また、まだラケットを使わずボールを投げるといったようなレベルのキッズたちを相手にしていました。

その中で感じたのは、ただ単にテニスコーチとして教え方が上手いとかではなく、世の中の流行をしっかり把握してコミュニケーションをとっていることでした。

当時、小島よしおの「オッパッピー」が子どもたちの間で流行っていましたが、

大学生となりテレビを見なくなった私がその存在を知るのは、キッズコースを教えているコーチからでした。

当時、私は20歳でしたが、40代50代になった時に10代20代の流行りを知っているだろうか?会話ができるのだろうか?と思った記憶があります。

社会人になったらできるだけ多くの世代と意図的に関わろうと今も定期的に振り返る出来事です。

圧倒的な実力差と魅力的な職場

私が勤めていたテニススクールには、当時の県No.1の方も所属しており、何度か打つ機会がありました。

私は、テニスがやりたくて大学を選んだぐらいなのですが、実力があるわけではなく、ただ好きなだけで試合でもそんなに勝ったことはありません。

そんな私と当時の県No.1の方との打ち合いなんてのは打ち合いですらなく、一方的に振り回されるだけでした。

漫画『ワンピース』でゾロが鷹の目に初めて挑んで負けるシーンで

ゾロが言った

「世界がこんなに遠いハズはねェ!!! …………この距離はねェだろう!! この遠さはねェだろう!!!」

の感覚です。

世界でもなく、県レベルでもそう感じました。

それは仕事とは関係ない話ですが、私にとってレベルの高い人がいる職場というのはそれだけで魅力的でした。

社会に出た時、どんな世界で自分が働くかわからないけど、30歳、40歳になった時に年下から魅力的に思われる仕事をしたいと思う瞬間でもありました。

学生時代のアルバイトから思うこと

スーパーとテニスコーチのアルバイトから学んだことは今でも私の仕事観に大きく反映しています。

また、どちらもこのブログのタイトル通り

「地に足をつけた組織作り」

の礎になっていることは間違いありません。

そのことをこれからこのブログを読んでいただく方には理解していただきたいと思って書きました。

 

次回の投稿から、社会人になってからの私の仕事観を形成していった出来事について書いていきます。

読んでいただき、ありがとうございました。

私のWork History(学生時代)

これからこのブログを読んでくれる人

これから私に興味を持ってくれる人

に対して私のWork History(学生時代)をまとめていきたいと思います。

 

私は、現在介護施設のマネージャーを基盤に様々な関わりを持っています。

なので、まずはなぜ介護業界という業界を選んだか?から書いていこうと思います。

 

なぜ介護業界を選択したのか?

高校生の頃、進路について考える時期を迎えました。

当時は、テニス(部活)をすることで頭がいっぱいで

進路から逃げたい気持ちでいっぱいでした。

高卒で働く勇気?というか心の準備が全くできておらず、働くという選択肢はまだありませんでした。

となると、専門学校か大学ということになるのですが、

「やりたい!」

と思えることもなく、なんとなく医療系・福祉系は今後高齢化社会だし、需要が増えそう。

という単純な理由で理学療法士や作業療法士を選択肢に入れ考えていました。

しかし、専門学校というのはみっちり勉強があり、当時寝ても覚めてもテニスのことばかり考えていた私からしたらそれは耐えられないと思い、断念。

そこで介護系の大学を目指しました。

ただ、介護士として働くのでは給与的にも低いことは分かっていたので絶対に上に行く(出世する)という強い気持ちを持ち、介護業界で頑張っていこうと高校生の頃に決めました。

大学時代

大学生となり、社会人になるまでに4年間の猶予が与えられました。

この4年間でもっと具体的に将来やりたいことを決める!

という思い出はいましたが、今振り返ると人生の中でこれだけ楽しかった期間はありません。

テニスにバイト、遊びに明け暮れました。

大学は卒業しましたが、常に単位はギリギリでした。

学生時代のアルバイトでは、「スーパーの店員」と「テニスコーチ」を経験しました。

大学より、多くの時間を過ごしたと思います。

スーパーでのアルバイトから学んだこと

大学入学後、すぐにアルバイトをしなければいけないと思い、小さい頃から利用していたスーパー(当時はジャスコ)でアルバイトを始めました。このアルバイトは、社会人一年目の途中まで続けることになりました。

高校生の頃は、アルバイトをしていなかったので初めてお金を稼ぐ経験をしました。

具体的な業務は、品出し、催事場作り、清掃活動でした。

当時このスーパーは24時間営業で勤めていた間、常に売り上げを上げ続けていた店舗でしたので小規模店でしたが東海地区の小規模店の中でも何度もトップの売り上げを出していました。

私の仕事は、主に加工品食品の品出しでした。

出社したら、まず、担当部署の商品の前出し(商品を前に詰めて見栄えをよくすること)です。それが終わったら、バックヤードに届いている商品を店内に持っていき補充していきます。

日によって、エンドと言われる通路に面した部分を新商品を積み上げインパクトを出して買ってもらいやすくするような仕事がありました。

これが最初はなれず、苦労しました。

その後、油まみれのデリカ部門や魚売り場の清掃活動です。

たまにレジ応援があるのですが、これが苦手で正直忙しいふりをして逃げていました。

今は、どんな仕事も自分ごととして小さなことでも逃げずに向きあるということを大切にしていますが、苦手なことから逃げる心理は理解しているつもりです(笑)

また、タイムカードは15分ごとに集計されていたのでいかに16分になるまで待つか、という姑息なことをしてきた経験もあります。

そして、それを多くのおばさんパートもしていたし、促してきました。

「あんた、あと3分これやっときなさい」みたいに。

今の立場でこのようなスタッフがいたら許せないのですが、当時の自分は普通にやっていました。

おそらく読んでいただいている方にもそういった経験があるのではないでしょうか?

よく、事務所にいるお局と言われる存在に打刻のことでは注意を受けた記憶があります。この時に「お局」の意味を知りました。

ざっと、どんなスーパーでのアルバイトをしていたかを書いたのでここからは、そこから学んで今の私の仕事の価値観にあることを書いていこうと思います。

勢いでやる重要性

東海でもトップレベルに忙しい店舗でしたのでとにかく大変でした。そんな中でも本部?からの指示で様々な催事場を作っていかなければいけません。また、クリスマスが終わったら3時間ほどで店内の雰囲気を一気に正月バージョンにしなければいけません。このような季節の切り替えやイベントの切り替えのタイミングは特に忙しくろくに休憩も取れない状況でした。

そんな中、正社員の「えいやー、でやっちゃおう」という前向きな言葉と行動力は、今でも私の中の自分を奮い立たせる合言葉のようになってます。

季節やイベントの切り替え時のバックヤードはパンパンです。それをこれから店内に並べようと思うだけでウンザリしてしまします。

そこでその正社員の「えいやー、でやっちゃおう」という声掛けがあるわけです。

不思議とやる気になり、作業を始めると没頭してなんとかやり終える。そんな経験を幾度としてやってきました。

物事に勢いをつけてやってしまうと意外となんとかなってしまうものなんだということをこの時に学びました。

数字にこだわる

アルバイトながら東海地区の小規模店で最も売り上げを上げる部門に所属していたこともあり、毎日の売り上げチェックが楽しくて目標達成をするたびに「よっしゃー!」と正社員たちと喜んでいました。

今思うとドーパミンがドバドバ出ていたんだなと思います。

ビジネスは結果が全て。その最たるものが数字だと思います。

ここにアルバイト時代にコミットし続けれたの私の中でも大きな財産となっています。

朝礼の理念唱和

この組織では、朝礼があり、毎日誰かが当てられいくつかある社訓のようなものを一つ読み上げるという習慣がありました。これも今では、ブラック企業というかちょっと気持ち悪い習慣と思われる方もみえるかもしれませんが、私自身はとても有効なものだと思っています。

大学時代、4年間読み続けることにより暗記したことは当然ですが、私自身はその企業の理念に感銘を受けるようになっていきました。

私が特殊だったかもしれません。

ただ、私はその理念や行動指針、社訓をもとに動くことが大切なんだと感じていました。

仕事をゲームにする

アルバイトがする仕事は基本的に単純作業です。だから、飽きてくることも多々ありました。その際、アルバイトの先輩から

「この作業は10分でやるとかこれをいかに綺麗に並べるかを考えるんだよ」

と単純作業をゲームにしてしまう(単純作業に意味を持たせて作業する)ということを学びました。

これも社会人になってから大いに役立ちました。

テクノロジーが進化して単純作業は機械やAIが代わりにやるようになったとはいえ、それでも単純でつまらない作業は存在します。

その時にでも

どういう心持ちでその仕事に臨むか?

を自分で決めることによってただの単純作業が単純作業でなくなります。

これを愚直に続けてきたからこそ、強くなれたとも思っています。

人間関係の複雑さ

スーパーは、人間関係が複雑で陰湿な業界の一つだと思います。

・誰かが誰かの悪口を言う

・部署ごとに歪みある

・協力し合わない

・誰かを引きずり下ろそうとする

そんな環境で人をまとめていくことの難しさを目の当たりにしてきました。

私自身は、ただのアルバイトでそういう話を聞かされる立場。

正直、聞きたくもないし、なんで人が嫌がることをするんだろう、言うんだろうと思っていました。

これをまとめていく正社員は大変です。パートタイムの方が圧倒的に数が多いですから。大体は、丸め込まれてパート勢力の方が強い状況です。

全国的な大きな組織でしたのでもちろん、各支店の組織図や役割もしっかり決められていました。しかし、それが全く機能していない。組織をコントロールする大変さを学びました。

優秀職員の表彰

スーパーには、ミステリーショッパー(覆面調査)と言われる人が従業員をチェックするためにお客さんに扮して店内にいます。誰がミステリーショッパーかわかりません。

自分では、接客が良い方だとは思っていません。ここで言う良い接客とは、しっかりした敬語や姿勢(立ち居振る舞い)など、要はマニュアル通りの綺麗な接客のことです。

ただ、誠心誠意お客様の話を聞き、一生懸命お客様の要望を聞く

と言う姿勢(心構え)はありました。

その辺りが評価されたのかわかりませんが、東海地区でも数名しか選ばれない評価を受けたと店長から言われ、朝礼で褒めていただきました。

私の中で、これは小さな成功体験の一つで誰かに仕事を評価してもらえることの嬉しさみないなものを感じ、これをモチベーションにその後の仕事も取り組みました。企業としてこういった取り組みが一従業員に与える影響はとても大きいものだと知りました。

 

まだまだ書き足りないこともありますが、とりあえずこの辺りで。

長くなってしまったのでテニスコーチ編は、次の投稿とします。

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

自己紹介

このブログでは、私がこれまで管理職として働いてきた経験と、副業で組織No.2の育成支援を行う中で学んできたことを発信しています。

小難しい組織論ではなく、現場で泥臭く働きながら実際に得た学びを共有していきますので、特に100人未満の中小企業の社長や管理職の方にとって、参考になる部分が多いと思います。

 

私は現在(2024年10月)、介護施設の統括マネージャーとして働きながら、副業として歯科医院のCHRO、そして数社で組織No.2を育成する伴走支援を行っています。

私のキャリアは、福祉系の大学を卒業し、介護職員としてスタートしました。当時の会社は私にとって非常に大きな価値観の変革をもたらしてくれました。

詳細は後日、ライフストーリーとして書く予定ですが、

その会社で学んだ

「人を大切にすること」が今の私の基盤になっています。

結局、新卒で入社した会社は、半年で退職し、新設されたデイサービスで生活相談員として働き始めました。

現在は、その会社が70~80人規模に成長し、統括マネージャーとして働いております。様々苦難もありましたが、厚生労働省からも評価をいただけるような組織に成長させることができました。

その実績がきっかけとなり、副業での依頼が舞い込みました。全国展開を目指す歯科医院のCHROとしての役割を始め、複数の会社から組織No.2を育成するための伴走支援を求められるようになりました。

 

正直に言えば、私は特別な知識や理論に精通しているわけではありません。

しかし、私が評価されている理由は、

「地に足のついた地道な組織作り」

を一貫して行ってきたことだと思っています。

これは、組織が抱える現実的な問題に向き合い、ひとつひとつ改善していく過程で得たものであり、特に中小企業にとって役立つと思っています。

このブログでは、そんな「地に足のついた」組織作りのリアルな知見を発信し、読者の皆さんが直面している組織や人材の悩み解決の指針になれればと思います。

例えば、

「人材の定着に困っている」

「現場のリーダーが育たない」

「どうやって組織作りをしたらいいか分からない」

といった具体的な課題に対して、私が現場で学んだ解決策や工夫を共有していきます。

 

よろしくお願いいたします。