Lead the Self

自分自身をリードする(Lead the Self)ために

【掃除】心は後からついてくる。まずは行動せよ!

 

2カ月前にある人のセミナーに参加した。

そのセミナーで話されていたのは掃除のこと。

それから毎日職場のどこかを掃除するようになった。

掃除と言っても本格的な掃除ではない。

職場では掃除をするスタッフを採用しているので基本的な掃除はやってくれる。

私がやっている掃除は、1分あればできるようなことから15分程度のもの。

汚れたところをサッと拭く程度でも掃除をしたということにしている。

掃除をすると心がきれいになる

なんて言うけど、そんなものはどうでもよかった。

このセミナーを聞いて心の部分ではなく掃除をすることによって変化するロジカルな部分に共感したから掃除しようと思ったのだ。

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【目次】

 

掃除を始めようと思った理由

まず、セミナーを聞いて「ハッ」と思ったことがある。

それは、汚れた場所に

良い人材は寄ってこない。

ということだ。

なるほど、確かに分かる気がする。

汚い場所なんかで働きたいわけがない。

一流企業やホワイト企業と呼ばれるようなところで働く人たちが汚い環境で働いているはずがない。(ここで言う汚い環境とは、怠慢などの積み重ねにより汚れてしまった職場のことを言っている)

それが、掃除を始めたきっかけだ。

私は介護施設に勤めている。

一般的に介護施設は敬遠される職場だ。

つまり他の業種の職場よりもハンデを背負っている。

入職希望者として面接に来る人たちは、ほとんどスーツで来ることはない。

タバコの匂いが履歴書にまで移り、どう考えても自宅環境にも問題がありそうな人が多い。

だから、ほとんど採用しない。

プライベートで自堕落な生活をしている人を雇う気にはなれない。

しかし、逆にまともな人材が面接に来てくれた時、職場が汚かったらどうだろうか?

面接官として私が抱いた心境のように面接者がここを自分の職場に選んでくれるはずはない。

せっかく来たまともな人を逃がしてしまうのは、もったいなさすぎる。

「良い人材を引き寄せるには環境を整えるしかない!」

それが、私が掃除をしなければいけないと思った一番の理由だ。

だから、掃除するのに心なんていらない。

キレイになればいいんだ。

掃除をすることによって生じた自分の変化

心を入れずに始めた掃除だが、面白いことに2か月も毎日職場の掃除をしていると掃除をしないということが気持ち悪くてしょうがない。

とにかく汚れが気になってしょうがないのだ。

完全にドラマに出てくるような嫌な小姑のように埃を探す・・・

先日こんなことがあった。

喫茶店で窓際の席に座ったのだが、その喫茶店の窓枠には蜘蛛の巣があり、埃まみれ。

こんなの見たら掃除をしたくてたまらない・・・

別の喫茶店で同じように窓際に座る。

やらしいと思いながらも埃をチェックする。

まったく指に埃が付かない!

どんなにきれいにしていても多少埃はたまるはず。

それがないということは相当な頻度で掃除されているということだ。

キレイな空間で食事をする。

これだけでもワンランク上のサービスを受けている感じがした。

そして、ここに気付ける自分。

確実に感度が高くなってきていると感じた。

 

人の配慮や努力が分かる

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掃除されていることを気付くという感度を手に入れたことによって人の配慮や努力への感謝の気持ちが今まで以上に心の中から溢れてきた。

そうなるとどんどん心が変化してくる。

些細な人の配慮に気付くことができるのだ。

そして、その人の配慮が良いなと思ったらすぐに盗んで自分の中へ取り込む。

感度の無い人には全く感じ取ることが出来ないかもしれないが、感度の高い者同士でしか通じ合えないものがあることを知った。

その域で日常生活を過ごしているとどんどん見えてくる景色が変わってくるのが分かった。

心は後からついてくる

始めは心を入れずに取り組んだ掃除と言う活動だが、心は後からついてきた。

掃除を始めてたった2か月。私が高めた感度は入り口に過ぎない。

世の中には、もっと感度高く生きている人たちがたくさんいる。

その人たちと同じ景色を見てみたいというのが最近の目標だ。

そして経験からとりあえずやってみるということの大切さを学んだ気がする。

もともと、形から入るみたいなことは大嫌いな人間だ。

心が伴わなければ意味がない。

そんな風に思っていた自分はかなり人生を損をしていたと思う。

何をするにも行動が先、心は後からついてくる。

その為に大事なことは考えないということ。

ごちゃごちゃ、頭で考えているうちはダメだ。

 

まとめ

掃除は奥が深すぎです・・・

掃除と言う行動を通して学ぶべきものがたくさんあります。

私はまだその入り口を見たに過ぎません。

30代前半でこの価値に気付けた自分はラッキーです。

もし、このブログを読んでいる方で20代30代の方がみえたらぜひ、掃除をされることをおススメします!

 

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【キャリア】次世代の必須スキル!絶対解より納得解を高めよう

まずは10日間無料トライアル!

社会人となり10年。

管理職として人の上に立ち、7年が過ぎようとしている。

今の自分にどんな能力が備わったのだろうか?

ふとそんなことを考えることがある。

私は、介護施設で管理者として働いている。

介護施設を運営するスキルや一般的な管理スキルは身に付けた。

それだけだろうか?

もしそれだけなら正直あまり価値がない・・・

 

私の勤める会社の従業員は70名ほどいる。

70名の人間がいるといろいろ問題が起きる。

やはり、一番は人間関係だろうか。

いかにこの70人のスタッフをまとめ、同じ方向を向かせるか?ばかり考えている。

まあ、それが私の最大の仕事なわけだ。

70人以上のスタッフがいると意見がそれぞれバラバラだ。

Aさんの意見を聞けば、Bさんが納得できない

AさんとBさんの意見を聞けば、Cさんが納得できない。

人数が増えれば増えるほど、一つにまとめるということは至難の業となる。

だから、それぞれが完全に納得することよりも30%ぐらい不満があるかもしれないが、

「まあ、いいか」と思える着地点を見つけなければいけない。

つまり、「納得解(最適解)」を導き出すということだ。

私が社会人生活で身に付けた最大のスキル。

それは、「納得解(最適解)」を導き出すというスキルなのだ。

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【目次】

 

「納得解(最適解)」と「絶対解」

先に「納得解(最適解)」とその対にある考え方である「絶対解」について説明しておこう。

絶対解とは?

絶対解とは、答えが必ず同じものになるものだ。

1+1=2

まさに、絶対解だ。

会社で例えるなら毎月もらう給料の額だ。

基本給、職務手当、資格手当、通勤手当などにその月の残業時間などを入れて計算する。

誰がやっても同じ数字が出てくるはずだ。

納得解(最適解)とは?

 納得解とは、答えが一つではないものや答えがないもの、変化していくもの、それらに対してみんなが納得できる答えを納得解という。

「落としどころ」や「着地点をどこにするか」みたいな言葉も当てはまるかと思う。

これは、中小企業のボーナスの決め方がまさに納得解(最適解)だと思う。

大企業のように確実に〇カ月分と言えることもないし、人によって差を付けなければいけない。利益が出たかどうかで大きく変動させなければいけないし、従業員にも納得してもらえる数字でなければいけない。

まさに納得解(最適解)を求める作業なのだ。

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これからは「納得解(最適解)」が重要

今の時代は、インターネット社会となり変化が激しくいろいろな情報が入り乱れ、さらに一人ひとりの価値観が多様になった。

この中で「絶対解」を導き出すことが困難になってきている。

数年前からダイバーシティ(多様性)という言葉をよく聞くようになったが、ダイバーシティを実現していくにも納得解(最適解)は必要だ。

日本はこれから人手不足の中、多くの外国人労働者とともに働くことになる。そして、今までは、労働力として考えられていなかった高齢者も労働者として80歳ぐらいまでは普通に働くようになるだろう。

障害者の活躍の場も広げられ、ジェンダーの垣根も薄くなってくる。

とにかくごちゃまぜ状態!

これがダイバーシティ(多様性)の状態だ。

この中で一つだけの解を導き出すことなど不可能なのだ。

だから、これから重要視されるのは「絶対解」を求めることではなく、「納得解(最適解)」を導き出すことだ。

 

「納得解(最適解)」を受け入れる必要性

ここまでは、「納得解(最適解)」を導くことの重要性を書いてきたが、導き出す側よりも受け入れる側の人がほとんどだと思う。

だから、大事なのは自分の中である程度の妥協点(「納得解(最適解)」を受け入れること)を持つことが重要だ。

いつまでたっても意地を張って絶対解を求めてはいけない。

時代の変化のスピードは、加速度的に早くなるばかりである。

今の「納得解(最適解)」ですら、一カ月後には変化している可能性がある。

これからの時代は、完ぺきを求め過ぎず、7割OKなら良しとするぐらいの方がいい。

人によってその7割も違うとは思うが、そこは周りの空気を読んで考えてほしい。

私が「納得解(最適解)」を導き出せるスキルを身に付けた理由

 最後に私が「納得解(最適解)」を導き出すスキルを身に付けられたのは、組織をベースに物事を考えてきたからだ。

つまり、一人ではなく全体のことを考えてきた。

世の中も一緒だ。

一人だけが王様であとは奴隷、そんな世の中ならば王様が喜ぶ「絶対解」だけを求めればいい。

私は常に、社長の為、従業員の為、ご利用者様の為、近隣住民の為、つまりステークホルダーの「納得解(最適解)」を求めてきた。

その経験値が知らず知らずのためにこの能力を高めることに繋がっていたのだと思う。

まとめ

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今日は、組織や世の中という全体の納得解(最適解)という前提で話をしてきたが、個人単位でも納得解(最適解)を求めることが必要になってくる。

モノや情報が溢れ、選択肢が増えたこの現代において自分が納得して生きていくためにも納得解(最適解)を求める力を身に付けていくべきだ。

豊かな時代になり、価値観が多様になった今、絶対解と納得解のバランスが大きく変わりつつある。

納得解を求めるスキルはこれからの時代において必須なのだ。

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モチベーションという言葉に翻弄される日本企業。今、歯止めをかけなくてどうする?

 

人によって働くモチベーションは様々。

お金であったり、次の休みであったり、仕事の内容であったりと現代は従業員のニーズに応えるため、一昔前では考えられないぐらい企業は従業員に対して気を使わなければいけなくなった。

人手不足の中、従業員にモチベーションを与え続けなければ辞められてしまう・・・

そう思ってモチベーションを与え続けている企業が多いが、これはかなりリスキーなことだと思っている。

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【目次】

 

やってもらえて当たり前の考え方

私は、管理職として採用面接をする。

その中で絶対に採用できない人達がいる。

それは、会社がモチベーションを与えてくれないと働きたくないと考えている人。

私が勤める企業は、零細企業でそんなに大した福利厚生もない。

面接者から

「社員旅行はどこへ行くんですか?」

「どんな福利厚生がありますか?」

と言われた瞬間

ないわ~この人・・・

と思ってしまう。

そういった話がメインになってくる人は他の条件がどんなにマッチしてもお断りだ。

お断りする理由①

どんなにいい給与を出しても、どんなに良い福利厚生を揃えても人はそれに慣れてしまう。ちょっとでも他所に良い条件の所があれば、あの会社はこうしてる、この会社はこんなことをしてくれると言ってくる。

それに合わせていては大抵の企業はもたない。

モチベーションを求めてくる人を雇ってしまうと永遠にモチベーションを与え続けることをしなければいけない。

もし、与えることができなければ社内でグチグチと愚痴を言う存在となり、めんどくさい奴になってしまうからだ。

お断りする理由②

内発的な動機付けで動ける人間ではないからである。

もし、企業がピンチになった時にその人たちは助けてくれるだろうか?たぶん、お金を出したりしたら助けてくれるかもしれない。でも、そのお金が出せなかったら助けてくれない。そんな人間は正直いらない。やはり、助け合いの精神は必要不可欠だ。助け合いの精神を持った人間を多く集めることがピンチの時にでも生き残れる企業だと思う。

モチベーションに翻弄される企業

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人手不足だからある程度のモチベーションを与えることは必要だ。

そうしなければ、人が集まらない。

圧倒的に労働者有利のご時世だ。

私は労働者でありながら、その労働者を管理する立場でもある。

だから、分かる。

このままではヤバい!

 

モチベーションを与えなければ働かない従業員だけでは、数年後、組織を維持することはできない。

モチベーションを与え続けるのもそろそろ限界に来ている。

これからもモチベーションを与え続けることによって自らの首を絞め始めるのだ。

 

自ら首を絞めてしまう理由

従業員個々のモチベーションに合わせすぎてルールがめちゃくちゃ。つまり、組織として成り立たなくなってきているということ。そもそも、企業が与えてくれないからやりたくないなどと言われているようでは従業員が上、企業が下という立場。

一般的に言えばフィフティーフィフティーだと思うが、実際は、企業が上、従業員が下が現実。私はそれでいいと思っている。

東京オリンピックが終わると日本経済はかなり落ち込むみたいなことが言われているが、普通に考えてみればそうだ。

私もかなりやばいことになると思っている。

つまり、ピンチが訪れる。

その時に大事なのがやはり組織として一致団結し、ピンチを乗り越えることができるかどうかだ。

しかし、今の多くの企業は偽りの組織。

ふわふわと形を成しているだけで、ピンチの時には蜘蛛の子を散らしたかのようにあっという間に分裂してしまうだろう。

もちろん、そのピンチの時に出さえ、モチベーションを与え続けることができれば問題ないのだろうが・・・

どうしたらいいのか?

従業員にモチベーションを与えないことだ。

基本的にモチベーションは与えられるものではなく、内発的な動機付けのもと湧きおこるものだと思っている。だから、企業としてモチベーションをダイレクトに与えてしまうのではなく、モチベーションを持ちやすい環境を作り、従業員に自らモチベーションを持ってもらうことが重要である。

「やりたくてやりたくてしょうがない!」

そう思ってもらえる職場作りを私は目指している。

企業は、モチベーションを与えるのではなく、引き出すような役割が今後求められてくる。

だから私はモチベーションを与えない。

 

まとめ

働くことに理由を探さなければいけないほど現代は豊かになった。

昔は、食べていくために働いていた。

働く理由は、生きていく為だ。

その中で楽しさや働き甲斐を見出していた。

つまり、内発的な動機付けのもとにモチベーションを持つことが出来ていた。

私は労働者という立場でありながら、現在のモチベーションを高め続ける企業に対して逆に不信感を覚える。

偽りの組織の形で大きくなったところで中身の伴わない組織。

私は、小さくても中身のある組織を作っていきたい。

 

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手っ取り早く成長する方法!圧倒的に早く成長できます!

私は、成長したい!という想いが強い。

いろいろと勉強していく中で1人で成長できることもあるが、私が求めている成長とは組織の中であったり、人間社会での成長だ。

だから、一人で自己研鑽することも多いが、それ以上に違う方法を取り入れなければいけないと思っている。

それは、全く違う環境に身を置き、いつもと違う人たちと出会うことだ。

個人的に2019年はそういう年だった。

だから過去最高に成長した一年だったと思う。

それまでの自分は、コツコツ自分の知識や技術に磨きをかけることばかり考えてきたが、成長のスピードはそれほど速くはない。

やった分は成長するけど、まったくレバレッジがかかっていない。

たぶんこのまま続けていても容易に50代、60代になった時の自分が想像できる。

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【目次】

環境を変え、いつもと違う人に会う重要性

とにかく成長するためには環境を変えていつも会う人たちとは違う人たちに会うことだ。

これは、別に会社を辞めろとかではなく、違うコミュニティに所属したりするだけでいい。

私が成長したいと思っていることはビジネスに関してという意味合いが大きいが、この違うコミュニティはビジネスに関係なくていい。

むしろ違う方が良いと思う。

そもそも、「いつもと同じ環境、同じメンバーのコミュニティ」と「新しい環境、あまり面識のないメンバーのコミュニティ」にいるとどういう状態になるのだろうか。

同じ環境、同じ人たちと一緒にいる状態

はっきり言ってこの環境はめちゃくちゃ楽だ。

人によっては、これが私の居場所と言う人もいるだろう。それはどんな状態なのか?

・気を使わなくていい

・相手のこともある程度理解できている

・受容されている

・安全という安心感

ストレスがかかってない状態のことだと思う

新しい環境、馴染みのない人たちといる状態

誰もが何度か経験しているはずだ。

小中学校のクラス替え、高校進学、大学進学、就職、転職。

人生では様々な場面で新しい環境に身を置き、馴染みのない人たちと人間関係を築いてきた。その感情を忘れてしまっている人も多いと思うので思いだしてほしい。

・緊張した状態

・新たな人間関係を構築できるか不安

・新しいことが多く、頭を使わなければいけない

・ドキドキ、ワクワクする

 結構精神的に疲れる。ストレスがかかっている状態だ。

 

どれだけ、新しい環境になるということが刺激になるかということが分かると思う。

単純に成長とはどれだけインプットしてどれだけアウトプットできるかどうか?そして、適度なストレスが大事なのだ。

新しい環境になるというのは強制的にそれを行うことができる。

もちろん、それは精神的にも肉体的にも疲れることだとは思う。

しかし、その経験を繰り返して新しい環境に順応できる免疫を作らなければいけない。

社会人になって何十年も勤める会社と自宅だけの往復では、新しい環境に適応できなくなってしまう。

だから、強制的にそういう場に身を置いた方が良い。

もちろん、成長を望むならの話だが。 

定期的に人間関係の見直しをしなければいけない

一年に関わる人が100だとしたら常に10~30の入れ替えをしたほうがいい。

これは、縁を切れとかではなく、常に新しく関わる人を10から30増やしたほうがいいということ。

キャパシティーが100だから30増えたら自動的に30が押し出されるイメージ

いわば、人間関係の棚卸だ。

 

定期的に人間関係の棚卸をすることで自分にとって有益な人間はどういう人間なのかも理解することができる。

その時に考えなければいけないのが、自分にとって有益とは何かだ。

この有益とは、居心地がいい人と言う意味ではなく、自分を成長させてくれる人のことだ。

この人たちとの繋がっていることが成長への早道なのだ。

新しい人間関係を構築する上で大事なこと

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できるだけ、前向きでプラス思考な人間と人間関係を構築する必要がある。

新な出会いが増えるということはリスクも大きい。

だまそうとしてくる奴もいるかもしれない。

今までの安全地帯にはいなかったエナジーバンパイアのようなひともいるかもしれない。

新な人間関係を構築していくためにはある程度、自分としての軸がいるだろう。

まだ、その軸がない人は、リスクを承知である程度騙されたとしてもダメージを受けない程度に思っておくことも必要だと思う。

ちなみに私は、その感覚が分からずに何度か騙された経験がある。

今となってはいい経験なのだが。

 

そして、もう一つ重要なのが世代は関係ないということ。

出来るだけ色々な世代と人間関係を構築したほうがいい。

私は極力同世代ではない人と関わるようにしている。

その方が得るものが多いからだ。

同世代は、同じ時代を生きて価値観が一緒なのは分かっている。

しかし、同じ価値観ばかりでは成長はあり得ない。切磋琢磨という意味だはいいかもしれない。

でも、その環境はとても居心地が良かったりする。

だから、他の世代から多くを学ぼうとするべきだ。

まとめ

新しい環境に飛び込むことで手っ取り早く成長することができる。

人は成長を求めなくなるとその環境に依存的になってしまう。

そうなると、なかなかその環境から自分の意思で抜け出すことは、相当な強い意志がなければ難しい。

私はどんどん成長したいと思っている。

だからこれからも積極的に新しい環境に身を置き、自分を成長させていきたい。

 

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人のために身を削ることの大切さ。最終的には自分が輝きます!

今年の8月から倫理法人会に加入した。

私が講演家の鴨頭嘉人さんをYouTubeで見ていたことがキッカケだ。

ちょうど、私が鴨頭さんの存在に気付いたのが2018年4月あたり。

それからドハマりしてずっとYouTubeを見てきたのだが、たびたび登場する倫理法人会。

もし、鴨頭さんのYouTubeをみていなければ、完全に怪しい宗教団体だと思っていただろう。

しかし、あるきっかけでこの倫理法人会に入ることになった。

 

私は、倫理法人会に加入してからほぼ休まずモーニングセミナーに参加している。

毎週火曜日の朝6時から始まるモーニングセミナーでは有名企業の社長の話を聞くことができる。

私の持論で上に行きたい、強くなりたい(成長したい)のであればそういう人達と関わることが最も手っ取り早く成長する方法だと思っている。

今日もいいお話が聞けたので自分なりの考察を入れながらアウトプットをして読んでくれている方に共有したいと思う。

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【目次】

今日の心に響いた言葉

本日の講話者は、まるは食堂代表取締役である坂野豊和氏だ。

まるは食堂はこんな感じ⇓

www.maruha-net.co.jp

おおー、これは勉強になる話を聞かせていただけそうだ!

かなり期待して参加する。

社長の印象は年齢よりも若くみえ、覇気があり、優しそうな方だった。

そして見るからにそういうもの(オーラ)を放っていた。

ハロー効果かもしれないが、このオーラを纏った人たちに沢山会っていればそれが本物なのか偽物なのか分かるようになると思う。

今はその訓練中なのだ(^^)

 

まぁ、モーニングセミナーの40分ぐらいの短い時間の中なので断片的な話だったとは思うのですが、その中で私の心に響いた言葉がありました。

それは、

「ろうそくは身を削って周りを照らす」

なるほどるほど。

これは、深堀したい言葉だ。

ことわざの意味

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「ろうそくは身を削って周りを照らす」

をググってみる。

調べてみると古いことわざのようでした。

意味としては、

自分を犠牲にして、他の人のために尽くすこと。

ロウソクはわが身をを燃やして、ろうを溶かし、身を削りながら周囲を明るく照らします。
この意から転じて、他人のために自分を犠牲にすることのたとえ

出典:

仏教のことわざ辞典シリーズ : 今、ここから。はじまる照泰仏堂のブログ

 想像した通りの意味だが、ろうを溶かしながら(身を削りながら)という表現が、命を削っていくようで何とも心に響く言葉だ。

 

身を削って周りを照らすとはどういうことか?

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これを普段の生活に落とし込んで考えたときに、一番身近な存在は両親であろう。

子供の頃から寝る間を惜しんで世話をしてくれて、子供のためにお金と命の時間をかけて子供を照らそうとする。

まさに「ろうそく」のような存在だ。

完全に見返りを求めない照らし方だ。

これに対して私利私欲のために、灯りを灯している人間もいる。

これは、ただ身を滅ぼすだけ。

誰も近寄らない。

その灯りでは誰も照らさないからである。

自分の持っている灯りとは自分を照らすためのものではないのだ。

自分を照らしたいのであれば人に照らしてもらわなければいけない。

人は、自分を照らしてくれる人の下に集まる。

明るく光り輝いているから集まるのではない。

人が集まれば、自らを大きく照らしてくれる灯りになってくれるだろう。

 

身を削りあって人間社会は作られる

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私はこの話を聞いて、86世代(30代)は最も誰かに灯りを当てることができるし、また当てられる世代だと感じた。

世代ごとにどんな「ろうそく」なのか考えてみた。

20代以下のろうそく

身を削ることなんてありません。

今の日本においてこの世代で火が灯っている人はそうそういないでしょう。

多くの灯りを灯され、常に自分中心に世の中が回っている。

この時期にどれだけ灯りを灯されてきたかを知るのは数十年後。

やっと私で少し理解できる年頃になってきたか・・・

20代のろうそく

20代、大人としてやっと灯りが灯ったところ。

しかし、灯ったばかり。

灯りが灯ったのはいいが、コントロールの仕方が分からず、他人に迷惑をかけ、自らのロウだけを燃やすことが正義だと勘違いする人も多いかと思います。

基本的にそれが普通だと思います。

なぜなら、今までの人生で誰かのために身を削るなんてことはなかったわけですから。急に誰かのために身を削れと言われても難しいですね。

30代~50代

火が灯され10年以上。

やっと安定した灯りで周りを照らし始めました。

火力も出しやすく大きな炎となり、より多くの人を照らします。

それと同時に気付くはず、今までの人生でどれだけ他者に灯りを灯されてきたかということを。

親、学校の先生、バイト先の店長、職場の先輩などなど。

本当の意味で感謝を覚える時期なのかもしれません。

60代以上

ろうそく自体は大分短くなってしまいました。

しかし、30代~50代では照らすことができなかった足元を強く照らす灯りとなります。小さなことにも気付ける世代だと思います。

年を重ねなければ見えない景色。

いい年の重ね方をしてこの灯りの灯し方をしたいものです。

 

つまり、各世代、それぞれの状況でどこをどう照らすかが大きく変わり、また、周りの環境次第で自分自身がどう照らされるかが変わってきます。

今日の学び

私利私欲、自分勝手に身を削って輝くことの無意味さを痛感しました。

人は、大勢の人に照らされ、その大勢を照らす一人。

より多くの人を照らすようにするには、常に相手の為を思って身を削った行動が必要なんですね。

そして、それを繰り返すことによって知らず知らず自らの周りを照らしてくれる人たちが集まり自らも輝かせてもらえる

だから、まずは人のために生きなきゃ、いけないということですね。

いや~、いい学びが出来ました!

 

 

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